韓國の領土 獨島物語




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獨島の名稱

昔から獨島は于山島, 三峰島, 佳池島, 席島などに呼ばれてきたけれども????現在の名稱である‘獨島’と始めて書かれたのは1906年(光武10年)鬱陵の郡主である沈興澤(シン·フンテック)の『鬱陵郡主報告書』で『本群所屬獨島』という記錄と朝鮮時代末期の知事である黃玹(ファンヒョン)の『梅泉野錄』であった.


行政及び地理的獨島

位置:東經131度52/北緯37度14
距離:鬱陵島東南の方から98km, 日本の隱岐島から160km
鬱陵島からは獨島の眺望をすることができるが????日本の隱岐島からはできない.
住所:慶尙北道鬱陵郡鬱陵邑獨島里山1~37番地天然記念物336號(1982.11文化財管理廳指定)
所有者:大韓民國政府
獨島の面積と形:獨島は東島と西島という二つの主だった島と周りの33個の小さな岩や暗礁で構成されており????全部で 186,121㎢の面積になっている
東島(獨島警備隊勤務地):海拔99.4m/????面積約6万5千平方メ一タ一
西島:海拔174m/ 面積約9万5千平方メ一タ一



獨島, 西紀512年から韓國の領土

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1531年に編纂された(新增東國輿地勝覽)の初頭に收錄し朝鮮『八道總詭』
于山島(獨島)の位置を鬱陵島の內側に描いたが????むしろこれは于山島(獨島)の領有意識をもっと强烈に表わしたことにな


獨島は西紀512年(新羅の智證王13年)に于山國が新羅に合倂された時から韓國の固有の領土になった????(『三國史記』新羅本紀と列僿)于山國は東海の中に鬱陵島と獨島(于山島)の二つの島に構成された古代海上の小王國であった.
東海の眞ん中に鬱陵島と獨島(于山島)に于山國が構成されたことは『世宗實錄地理志』(1432年編纂),『東國輿地勝覽』(1481年),『新增東國輿地勝覽』(1531年),『萬機要覽軍政編』(1808年), その他にもさまざまな古い文獻と地圖に記錄されている.
また獨島の名前が19世紀後半まで‘于山島’だったということも獨島(于山島)が‘于山國’の領土だったのを明らかに證明することである.


フランスの地理學者ダンビルの『朝鮮王國全詭』, 獨島を韓國の領土に表示

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1737年にフランスの地理學者ダンビル(J.B. D ’Anville)が描いた『朝鮮王國全詭』
この地圖は于山島(獨島)と鬱陵島を韓國の東海岸にもっと近接に描いて獨島(于山島)が韓國の領土であることを明瞭に表している.


鬱陵島と共に獨島(于山島)が朝鮮王朝の領土であったという事實は日本はもちろん西洋にもよく知られている. 西紀1737年にフランスの有名な地理學者(J.B.D’Anville)が描いた『朝鮮王國全詭』(Royaume de Core’e)にも獨島(于山島)は朝鮮王國の領土に描かれてある. 鬱陵島と獨島が東海岸にもっとも近接に描かれてあり,『新增東國輿地勝覽』の地圖のように于山島(獨島)が鬱陵島より內側に描かれてあるのは獨島が朝鮮の領土であることを强調するのだ.


日本の古文獻と 日本の古地圖????獨島を 韓國の領土に記錄

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日本の實學者だった林子平さんが1785年に描いた『三國接壤地詭』
この地圖は鬱陵島と獨島を朝鮮色である黃色に塗っただけではなく, 黃に『朝鮮ノ持二』という文字を書き入れ、獨島と鬱陵島が朝鮮の領土であることをもっと明瞭に表わしている.


1667年, 日本の政府が獨島を始めて記錄したのは日本だと指摘した日本政府の古文獻『隱州視聽合記』も鬱陵島(その時の日本の呼稱は竹島)と獨島(その時の日本の呼稱は松島) は高麗の領土であり????日本の西北方面の境界は隱岐島を境にすると記錄している.
1785年に日本の實學社である林子平さんが編纂した『三國接壤地詭』は國別に色を異にして朝鮮は黃色に, 日本は錄に表示したが, 東海の眞ん中にある鬱陵島と獨島(于山島)を朝鮮の色である黃色にきちんと塗っただけではなく, 橫には『朝鮮の物』だと書いて鬱陵島と獨島(于山島)が朝鮮の領土であるのをはっきりと表示した.


17世紀末の日本政府, 獨島と鬱陵島を韓國の領土に再確認

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1696年1月, 日本側が獨島を朝鮮の領土に認めて????日本人の獨島出漁を禁止する命令を下したことを朝鮮側に知らせてきた傳達書


1592~98年, 日本が文祿の役を起こした時, 日本軍は獨島を經て鬱陵島にも侵略し, 住民を虐殺して集團的に略奪した, ここに住民が殺されることを防ぐために朝鮮の朝廷が鬱陵島を明け渡す, 「空島政策」を强行した, この隙に, 日本の德川幕府は朝鮮の朝廷にばれないように日本の漁師である二つの家門に, 1618年鬱陵島へ行ける『竹島渡海免許』と『松島渡海免許』を渡したが, これは海外に行ける許可帳であった.
それによって1693年, 鬱陵島へ渡って來た日本の漁師たちと安龍福など朝鮮の漁師たちの間に大きな衝突が起きた, このことをきっかけに日本の對馬の島主が中心になって鬱陵島(または獨島)を日本の領土にしようとする外交紛爭を起こした, 數年に渡って, 論爭が續けられたが, 朝鮮政府の强硬な對應に日本も屈服し, 1696年の1月, 德川幕府の關白(執政官)は鬱陵島(または獨島)が朝鮮の領土であることを再確認し, 日本の漁師たちが鬱陵島(または獨島)で釣りをすることを嚴禁するとともに『竹島渡海免許』と『松島渡海免許』も取り消した, 東來(地名:現在韓國のプサン)出身の漁師である安龍福も鬱陵島と獨島を守るために活動した.


19世紀, 日本の明治政府の公文書, 獨島と鬱陵島, 韓國の領土であることを確認

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1869年に日本の外務省と太政官が調査事項を指令した『獨島松島朝鮮府屬二相成候始末』の項目と, それに對する日本の外務省管理たちの復命の內容
日本の外務省と太政官が指令したこの調査項目は1869~1870年に日本政府が獨島を朝鮮の附屬領であることを確認した明瞭な資料である.(『日本外文文書』に收錄)


1868年の1月, 日本では德川幕府の政權が崩壞し, 新たな明治政府が樹立になり, 1869年の12月には日本新政府の太政官(總理大臣)と外務大臣が外務省の高官たちを朝鮮に派遣し, 14種類の項目に對する內偵調査を命令した, その中には『鬱陵島(竹島)と獨島(松島)が朝鮮附屬になっている始末』を調査しろという命令の項目があった. 當時,日本最大の國家機關である太政官と外務大臣は鬱陵島と獨島が‘朝鮮附屬の領土’であることをよく知っていた, それによる內偵報告書が1870年の『朝鮮國交際始末內探書』であり, 1930年代, 日本の外務省が編纂した『日本外文文書』の第3卷に收錄されている, これは鬱陵島と獨島が歷史的に韓國の領土であることを日本も公知????公認した嗇據である.


日本の內務省, 獨島と鬱陵島が韓國の領土であると再確認

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1877年????日本の內務省が太政官に鬱陵島と獨島を日本領土の地籍に含ませるのかに對する最終決定を賴んだ質品書と, 太政官が鬱陵島と獨島は日本と何の關係もない所だと決定して下した指令文を添加記錄した公文書(日本國立公文書管所長)


1876年, 日本の內務省は近代的な日本の地圖と地積圖を作成するため, 各地方の縣に地元の地圖と地積圖を作成して送るように訓令したが, 島根縣は東海の中にある鬱陵島(竹島)と獨島(松島)を島根縣に含むかどうかについて質問書を提出した, 日本の內務省は約5ヶ月間調査した結果????鬱陵島と獨島は朝鮮の領土であり, 日本とは關係のない土地であると確認した, しかし, 領土の問題は重大な事項だから國家最高の機關である太政官の最終確認の決定が必要であると考え, 太政官に質問した.


日本最大の國家機關(太政官), 獨島と鬱陵島を韓國の領土で決定

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1877年????日本の太政官が鬱陵島と獨島を朝鮮の領土であると判斷し, “鬱陵島と獨島は日本と何の關係もない所だ”と述べて, 日本の地籍には含ませないようにと內務省に提出した公文書(日本國立公文書管所長)


日本最大の內家機關である太政官は內務省の決定稟議書を再檢討した結果, 1877年3月20日日付で鬱陵島と獨島が朝鮮の領土であることを再確認し, ‘稟議な趣意の鬱陵島(竹島)と他の1度である獨島(松島)は日本と關係がないと心得ること’だという要旨の訓令を內務省が提出した, 內務省はこの訓令を1877年4月9日の日付で島根縣に送り, 鬱陵島(竹島)と獨島(松島)は日本の領土ではないため(朝鮮の領土である), 島根縣の地圖から拔くように訓令した????この日本官撰の資料は獨島が韓國の領土だということをもっとも明らかに嗇明することである.


19世紀末, 大韓帝國政府, 獨島と鬱陵島は韓國の領土だとはっきり表示.

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大韓帝國の學部の『大韓輿地詭』(1898)
獨島(于山島)を鬱陵島の東側の正確な位置に描き, ‘于山’と書き入れて大韓帝國の領土であることを明瞭にした,(ソウル大學圖書館奎章閣所長)


鬱陵島に日本人が不法上陸して木を刈り????移住までしようとすると, 1882年, 朝鮮の朝廷も空島政策を廢棄して韓國人の移住政策を實施した, 甲午改革の後作成された近代的な韓國の地圖では鬱陵島と獨島(于山島)を正確な位置に表示し????韓國の領土であることを明らかにした.
1898年の大韓帝國學部の『大韓輿地詭』は獨島(于山島)が韓國の領土であるとはっきり表示した.

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1899年『大韓全詭』
大韓帝國の學部で製作, 配布した標準地圖では, 獨島が鬱陵島の東側に位置してあり, 經度と緯度が當時の基準に表示されている.(李燦-イチャン所長)



1900年に大韓帝國の勅令第41號, 獨島は韓國の領土であると世界に公表

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1900年大韓帝國の勅令第41號を收錄した官報
1900年に鬱陵島と竹島, 獨島を管轄している行政區域として蔚島郡を設置するという大韓帝國の勅令第41號を揭載した.


大韓帝國は日本人の絶え間ない鬱陵島への不法入國と定着を防ぐ積極的な對策の一環として地方行政郞系を改編し, 1900年10月に勅令第41號を制定, 頒布して從來の江原道蔚珍郡に屬していた鬱陵島を‘鬱島群’に昇格し, 新しい蔚島郡守を任命した.
蔚島郡が管理している區域は鬱陵島, 竹西島(竹島)と獨島(石島)にした, そしてこの官製の改定を中央『官報』に載せて世界中に知らせた, この1900年勅令第41號により, 西洋國際法の郞系にも獨島が大韓帝國の領土であることをもう一度世界に公表した.
獨島の空島政策を廢棄して移住政策を始めたら鬱陵島には多島海の湖南地方の多くの漁民たちが定着したが, 移住民たちは獨島の從來冠名である‘于山島’より石でできた島だという意味で石島と呼んだ, この‘獨島’を發音中心の漢字に表記する場合は‘獨島’だと表記し, 意味中心の漢字に表記する時は‘石島’と表記した, 西洋の人たちは西洋の地圖に始めて獨島を描いた『リアンコルト(Liancourt)號』の名前をとって‘獨島’ を‘リアンコルト岩島’(Liancourt Rocks)だと稱した


日本, 1905年に獨島强制編入

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江原道の觀察使の書吏が參政大臣に捧げた蔚島郡守の深興澤(シンフンテック)の報告書と大韓帝國の參政大臣の指令文(1906)
蔚島郡守の深興澤(シン フンテック)はこの報告書に“本郡所屬の獨島家”といい, 獨島は自分が統治する領土であることを明らかにして抗議し, 參政大臣は“日本の獨島を領有する說はまったく根據がない”と日本側の主張を抗議, 批判した.


1904年の2月, 日本は日本ロシア戰爭を起こした後, 東海でロシア艦隊の樣子を監視する海軍の望樓を獨島に建てることにした????この時‘中井’と呼ばれる日本の漁業をする人が獨島でのオットセイ取りの獨占權を獨島の所有權者である大韓帝國の皇帝に申し腐もうとした. 日本政府は獨島が韓國所有の土地であることを知っていながら????‘無主地’だと前提しながら????1905年1月28日に行われた內閣會議で獨島を日本の領土に編入した????そしてその名前を‘竹島’とつけ????島根縣の行政所管にすると決めた????しかし日本は‘獨島’が‘韓國の領土’であるのを知っていたわけで????獨島の日本領土編入が世界に知られることをおそれて『官房』に載せられなかった.
しかし獨島は1905年1月28日以前????西紀512年から韓國の領土として韓國という主人のある‘有主地’だった????そんなわけで獨島は‘無主地’だから日本の領土に編入するという日本政府の決定は國際的に認められない不法的????無效の決定であった????
1906年の3月28日, 蔚島郡守ははじめて日本が獨島を侵奪したことに氣づき????江原道の觀察使を通して中央政府に報告し????大韓帝國の參政大臣は直ちに日本の不法性を糾彈した????しかし4年後である1910年の8月29日, 大韓帝國は日本帝國に合倂されてしまい????獨島は韓國が獨立した時にやっと取り舫すことができた.


連合國????1946年1月に獨島を韓國に返還する訓令を發表

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連合國の最高司令部がSCAPIN第677號の付屬地圖に作成して韓國と日本の領土を區畵した地圖
獨島を‘TAKE’だと表示し, 韓國の領土に付屬させた.


1945年8月15日に日本が連合國に降伏した後, 連合國は東京に最高司令部を設置し, 舊日本帝國が隣國の領土を侵略して奪った全ての領土を元の主人に返還する作業を始めた. 連合國の最高司令部は1946年1月29日に連合國最高司令部指令(SCAPIN)第677號の訓令を發表し, 韓半島の周邊にある濟州島·鬱陵島·獨島(リアンコルト島)などを日本主權から除外して韓國に返還した????續いて連合國の最高司令部は1946年6月22日, SCAPIN第1033號を發表し, 日本の漁師たちが獨島と12海里 の水域に近づくことを國禁して獨島が韓國の領土であることを重ねて知らせた????この訓令は今でも國際法的效力を持っているのだ. 1948年8月15日, 大韓民國は政府樹立と同時に????在韓美軍政(連合國)から韓半島と獨島など付屬圖書を領土に引き受け, 1948年12月12日には國際連合からその領土と主權を國際的に公認された.


連合國の『舊日本領土處理に關する合議書』“獨島は韓國の領土だ”と規定

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『連合國の舊日本領土處理に關する合議書』付屬地圖
獨島(赤い丸になっている部分)が大韓民國の領土であると區切られた.


連合國は1952年に日本を再獨立させようと決め????先立って1951年には『舊日本講和條約』を締結しようとした. その準備で連合國は1950年,『連合國の舊日本領土處理に關する合議書』(Agreement Respecting the Disposition of Former Japanese Territories)を作成した. この合議書の第3項で韓國に返還する領土は韓半島の本土とその周邊にある全ての島(all offshore Korean islands)であるが, その代表的な例として濟州道·巨文島·鬱陵島と共に獨島をリアンコルト岩島(Liancourt Rocks)という西洋の呼稱に明記し, 韓國に返還して韓國の領土であることを明らかにした.
連合國が獨島を韓國の領土だと判定して返還させたことを克明に明かす大事な資料である.


連合國, サンフランシスコ『對日本講和條約』で獨島が漏れ

連合國, サンフランシスコ『對日本講和條約』の草案をアメリカが作成したが????第1次の草案から第5次の草案まで獨島を韓國の領土として名文に含めませた. それに氣付いた日本の過度政府がアメリカ人の顧問を立たせて獨島を米空軍のレ一ダ一基地と氣象觀測所に提供すると猛烈なロビ一をした結果, アメリカの第6次の草案では獨島を韓國の領土から拔いて日本の領土に含ませた. しかし米國·ニュ一ジ一ランド·オ一ストラリアなど????他の連合國はアメリカの第6次の草案に同意しなかった, そのため, アメリカの第7次~9次の草案でははじめから‘獨島’という名を拔かした. 1951年9月, サンフランシスコで調印された連合國の『對日本講和條約』の第2條には“日本は韓國の獨立を承認し, 濟州道, 巨文島, 鬱陵島を含む韓國に對する全ての權利????及び請求權を諦める”と書いて‘獨島’の名稱が漏れるようになった????日本側はこれを連合國が‘獨島’を日本の領土に認めたと主張している.
しかしこれは事實ではない. “獨島は鬱陵島の付屬の島”であるから鬱陵島だけ記錄されてあればその付屬の島である獨島は自動的に韓國の領土だと認めなければならないからだ. 濟州道に付屬の島として牛島があるが????濟州道だけ記錄されればその付屬の島の牛島も自動的に韓國の領土に含まれることと同樣である. 韓國の領土に含まれた千數の島の名稱が講和條約の條文に一????記錄されていないことでいまだにこれを日本の領土であると主張するわけにはいかない.
それだけではなく, 先立って書いたように連合國がサンフランシスコの條約の準備で合議した內部合議書『連合國の舊日本領土處理に關する合議書』(1950)に‘獨島’が明文で明らかに‘大韓民國の領土’だと定義されてあるからこそ條約文に名文で記錄されていないとしても條約の內部の文書では獨島が韓國の領土だと認めたことである.
だから國際法上にも獨島は明らかに韓國の領土であるのだ. これは日本を除外した國際社會で公認されている.


UN軍, 獨島を韓國の領土に含む

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1950年韓國戰爭が起きた時, UN軍が韓國の領土を領空から防衛するため????1950年設定して現在まで使われている『韓國防空識別區域』(KADIZ)
UN軍であるKADIZは獨島を韓國の領土だと確認して防衛している.


1948年6月30日, アメリカ空軍が獨島の近所で爆擊練習をしたことがあり, その後韓國戰爭の期間に日米合同委員會によって獨島が米空軍の練習基地として選ばれたという薛があった. 日本の政府はこのことを指摘し, 獨島は日本の領土だと見なしたことを主張している. しかしそれは事實とは全く違うことである.
大韓民國の政府がこれを抗議し, 1953年2月27日の日付でアメリカの空軍司令官は大韓民國の政府に‘獨島’はアメリカ空軍の練習基地から除外されたという回答を送った.
また1950年6月韓國戰爭が起きた時, UN軍とアメリカ太平洋の空軍司令官は『韓國防空識別區域』(KADIZ: Korean Air Defense Identification Zone)を設定し, 韓國の領土に上空防衛區域を決めて現在まで使われてあるが, KADIZの中に獨島を含ませて獨島を韓國の領土で防衛している. UN軍の空軍は獨島を韓國の領土と判定し, 獨島上空をKADIAの中に含ませていることである. この事實はUN軍の空軍も獨島を韓國の領土を守っていると明らかに表している.


獨島を國際司法裁判所にもっていこうとする日本の提議を斷固として拒否するべきだ.

獨島は歷史的, 國際法的, 實交的な占有からみると明らかに大韓民國の領土である. 大韓民國は獨島に對して‘實際領有權’を持っている. 獨島領有權を100に表示すると大韓民國は100を全部持っていることに比べて日本は0を持っている. 日本は獨島領有權を‘主張’しているだけだ. ‘實際領有權の所有’と‘主張’の間には雲泥の差がある. だから韓國と日本の間に‘獨島領有權の紛爭’はない. ‘獨島領有權の論爭’があるだけだ.
それなのに日本は獨島領有權の論爭を始めて以來, 獨島侵奪の戰略の一つに1945年から國際司法裁判所に行って獨島領有權を裁判しようと提議している. 國際法上, 連合國機關である‘連合國の最高司令部’が1946年???? 獨島領有權に對して韓國の領土に判定, 獨島を在韓美軍政に返還して1948年の8月15日に大韓民國が樹立になり????直ちに獨島を引き受けて大韓民國の領土として統治し, 1948年12月12日には國際連合から國際社會の合法的な主權國家に承認を受け, 當時の領土(獨島を含め)に對する統治權を國際連合から公認された. それだけではなく, 連合國が1951年大日本講和條約の締結の準備で1950年に合議作成した『連合國の舊日本領土の處理に對する合議書』にも名文で獨島を擧名しながら‘大韓民國の主權の領土’であることを明白に規定した. だから大日本講和條約の本文に‘獨島’の名が韓國や日本の領土に漏れたとしてもその內部の付隨文書である『連合國の舊日本領土に對する合議書』(1950)は『連合國の最高司令部の指令第677號』(1946年)などに基づいて獨島は國際法上, 明らかに韓國の領土だと判定されたことである. だから歷史的や國際法上, 明白に大韓民國の固有の領土であるからすでに判定された韓國の領土を判定し直そうとする必要はない.


獨島硏究保全協會獨島學會の紹介



獨島學會

1996年3月1日創立
獨島領有權に對する學術硏究團體

獨島硏究保全協會

1996年の12月27日社團法人の許可(海洋水産府)
現在15所の獨島硏究と保全關連の團體が加入してある連合會
主要な活動の事項
每年????學術大會または大討論會を一回開催
學術硏究誌????書籍????資料集????廣報物の發刊
敎養????講座????特別抗議などを開催
現在????刊行された獨島硏究の叢書

①『獨島領有の歷史と國際關係』, 1997年, 217ペ一ジ, 非賣品
② Korea’s Territorial Rights to Dokdo: A History Study, 1997年, 218ペ一ジ, 非賣品
③『獨島領有權????領海と海洋の主權』1998年, 301ペ一ジ, 非賣品
④『獨島の近隣海域の環境と水産資源の保全のための基礎硏究』, 1998年, 254ペ一ジ, 非賣品
⑤『獨島領有權の資料の探求第1卷』1998年, 332ペ一ジ, 非賣品
⑥『獨島領有權の資料の探求第2卷』1999年, 358ペ一ジ, 非賣品
⑦『獨島領有權の資料の探求第3卷』2000年, 450ペ一ジ, 非賣品
⑧『獨島領有權の資料の探求第4卷』2001年, 513ペ一ジ, 非賣品
⑨『獨島領有權の硏究論集』2002年, 448ペ一ジ, 非賣品
⑩『韓國の獨島領有權の硏究史』2003年, 462ペ一ジ, 非賣品


獨島硏究保全協會愼鏞廈

ホ一ムペ一ジ:www.dokdoinkorea.com E-Mail : nieelcine@empas.com



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